日吉神社とは?


祭神 大山咋命 又御名 山末大主神(大年神の御子也)

略記
 社伝によれば、大同2年(807年)比叡山延暦寺開祖最澄がこの東金の地に巡錫(僧侶が各地を巡行して教導遊化すること)にあたり近江国滋賀郡坂本村日枝山(現在の滋賀県大津市坂本の比叡山)に御鎮座坐する日吉大社(正式名 ヒエタイシャ)のご分霊を鴇ヶ峰(現在の山王台公園)に勤請、山王権現と称していました。
 その後、嘉慶元年(1387年)に現在の場所に遷座し、東金郷六ヶ村(大豆谷村、台方村、辺田方村、掘上村、川場村、押掘村・・・辺田方村は現在の上宿、谷、岩崎、新宿)の総鎮守の神様として崇敬を集めております。
 文亀3年(1503年)の大早害を始め幾度かの早害の際には降雨祈願に慈雨をもたらし、承応年間(1652年~1655年)に起った「雄蛇ヶ池」の水利問題論争の折には円満解決に導くなど常に御神威、御神徳を賜って参りました。
 寛文3年(1633年)東金郷6ヶ村は六月十五日に執り行われる神幸祭に併せてそれぞれに楼車を繰出して参加するようになりました。
 以来、隔年毎には例祭に併せて連合祭典と称し神輿の渡御、山車・屋台の運行を行っています。
 【東金形】と分類される全国でも稀な形状をした山車・屋形は、ハガチ(担ぎ手の事)が前方を持ち上げ方向変換をします。
 また、山車・屋形同士の交わす挨拶の儀では、山車・屋形を揉んだり(前方を持ち上げたり下ろしたりしながら回したりする事)し、大変勇壮です。
 山車・屋形で奏でられている【東金ばやし】は、千葉県指定無形民俗文化財となっております。

 また、慶長19年(1614年)と元和元年(1615年)の二度、徳川家康公が東金の地に鷹狩りに来た折、当神社に3日間参篭して国家安泰、武運長久、一族繁栄を祈願されたと伝えられています。
 現在の御本殿は、家康公が代官に改築を命じ、元和六年東金御殿に在勤されていた代官高室金兵衛が鈴木佐渡守に下命して造営された一間社流れ造りの立派な御本殿であります。
 

 

 参道は樹齢300~600年の大杉並木で、近在では稀に見る御神域で参拝者をして自ら襟を正させるような荘厳なる雰囲気を醸し出しています。
 日吉神社の正面にある一対の猿は日吉大神の神使であり、元禄8年(1695年)に建立(現在は2代目)され、高さは四尺強、体は正面を向き、顔は本殿を向いています。昔から体の悪い所と神猿の体とを摩ると良くなると言われており、氏子・崇敬者から大変愛されています。
 ※参道より見えます建物は手前から拝殿、幣殿、覆殿となっており、御本殿は覆殿に囲まれています。